気がついたら、私は見知らぬ場所にいた。
真っ暗な空間が続くばかりで、周りには建物や灯りがない。果てがない虚空の中に私は立っていた。
「おっ、今日の飯はお前か」
背後からふいに話しかけられて、私は驚いた。いつからそこにいたのだろうか。
恐る恐る振り向くと、小柄な少年がいた。
その少年は異様な風貌をしていた。カールの強い銀髪と黒い角、そしてツリ目の赤い目。その風貌は羊や山羊を思い出す。
異質な少年を見て、私の頭が『彼は人間ではない』と警告を放っていた。むしろ悪魔や魔物といった類のような、禍々しさを感じる。
「な、なに?あなたは誰?それに飯ってなんなの?どういうこと?」
私はパニックを起こしていた。心拍が上がっているのが感じる。今いる空間と少年、どう考えても普通の状況ではなかった。
「あ?俺の名前なんてもんはねえし、これからお前の薄っぺらい人生を食うだけだ。そんなもんどうでもいいだろ」
彼はため息を付きながら私の質問に答え、うんざりした表情で私を見つめている。
『私を食べて彼の空腹を満たそうとしている』――彼の中でそれは決定事項のようだった。
「私を食べるの!?冗談はやめてよ!それに、薄っぺらい人生って……」
私は反論しようとしたが、すぐに言葉を止めた。確かに私は彼に食べられたくなかった。しかし薄っぺらい人生に対して反論ができなかった。
過去の出来事が頭によぎる。私の人生は人の顔色を窺い、争いごとから、自分で選択することから避けることしか思い浮かばなかった。
他人に振り回される人生。一言で要約したらそんな人生だった。
他の人のように、キラキラと充実した人生を送ってきたわけでもない。愛する恋人や家族はいなかった。
私はただ、目の前のことを必死になってこなしていただけ。何ごとも達成したわけでもなく、何者かにもなれなかった。
彼の言葉を否定するのも虚しくなり、私は彼に尋ねた。
「ねぇ、私を食べてもおいしくないわよ。薄っぺらい人生を歩んできた人よ、きっとおいしくないわ」
私の心の中で、虚空の感情が生まれていた。こんな人生疲れた、食べられてもいい。ただ、私はおいしくないと彼に警告を発したかった。
「あのなぁ、そんなもん食ってみねぇとわからんだろ?食わず嫌いかよ」
彼は私の忠告を訝しながら答えた。私の言葉に疑問を生じているようで、なぜそんな質問をするんだ?と言わんばかりに私に眼差しを向けていた。
間髪を入れずに、彼は言葉を私に投げた。
「なぁ、ひとつ聞くが『薄っぺらい人生』ってどんな感じだと思うか?」
「ど、どういうこと?」
私は困惑した。
「薄っぺらい人生とは他人に比べて充実した人生を送らなかった人のことを指すのでは?」と頭の中で解答を思い浮かべたからだ。
しかし、その回答が彼を納得させる答えではないと心中で察する。
彼は私の困惑した表情を見て首を傾げ、小さな声で「そうだな……」とつぶやいた。彼なりに私への回答を探しているようだった。
「まずは薄っぺらい質感について聞いてみっか。薄っぺらいものはいっぱいある。お前はどんなモノをイメージした?」
「うーん、紙とかラップ……、あとは布かな?」
私はパッと思いついたものを言葉に発した。
同時に私は彼が言いたいことを察する。
彼にとっての「薄っぺらい」という言葉には、私が思っていた以上のモノや質感があったのだ。
「つまり、私の薄っぺらい人生にもいろいろなモノや質感があるって言いたいの?」
「おっ、お前結構察しがいいな。俺、お前のそういうとこ嫌いじゃないぞ」
彼は私の回答を聞いてニカっと笑った。口の中から鋭い八重歯が見える。それは彼が異質な存在であると見せつけると同時に、彼の無邪気を印象づけた。
「だからこそ、俺はお前を食いたい。お前の薄っぺらい人生がどんな味なのか知りたい。だから食ってもいいだろ?」
純粋でストレートな言動が、私の心を揺さぶった。彼の中にあるのは、人生の味に対する好奇心と食欲。それ以上もそれ以下もなかった。
「そうね、あなたならいいかな」
彼は私の薄っぺらい人生を否定しなかった。どうせ人生が終わるなら、彼のような人に委ねても悪くない。そう思えてしまったのだ。
「そうかそうか!それならありがたくいただくぜ」
彼は優しい笑みを浮かべながら私に近づく。禍々しい風貌とは打って変わった表情は、私の最期にはもったいないものだった。
彼は私のシャツをめくり、私にかぶりついた。腹部に痛みを感じ、大量の血液が流れていくのを感じる。
「ん、この味は……」
激しい痛みと薄れゆく意識。彼の言葉を聞きながら、私は意識を失った。